ドラマ「アンチヒーロー」と、聖書の「第二の死」のシンギュラリティ

日曜日、過去のある教会の「復活」に関する説教を聞いていた。
「キリストの復活」。科学、医学の発達した現代ではなまじ受け入れがたく、
僕はクリスチャンであると思いながら、「主の復活を信じる」と毎週唱えることに抵抗があり教会に通っていない。だからなんというか知りたいとみていた。それは後述するが、
少し疲れた僕はリビングに行った。

母がアンチヒーローの恐らく第三話を見ていた。
「本当の犯罪者でも無罪にしてしまう」まさに善悪が判らなくなるが、一本通っている。
ドラマ「アンチヒーロー」は大金で大物を無罪にする邪鬼の話ではないと思う。
映画ナタリーも、アンチヒーローは世の中の善悪は本当なのか世に問う、というような意見(要約してしまったが)を述べていた。

そして、母も、「善人なのか、悪人なのかわからない」と言っていた。
俺は面白いと見た。
僕はたまにそういう息抜きをする。今日はショッピングモールにできたグリルを得意とする店で母と夕食を楽しんだ後だったのもある。

「第二の死」は、永遠の苦しみから逃れられず、第一の死=「体の死」ののち滅びるというもの、と説教から理解した。その「第二の死」、「魂の死」はアダムとエバが善悪の知識の実を食べて始まるとされる。
だから、ぼくは旧統一教会の勧誘に「神話は神話のままでいい」といった由縁である。
(アダムとエバが実在したと思ってるの?と聞こえてきそうだが、歴史上の何かに当てはめようとする考古学者もいます。アブラハム、ノアなどは実在したことの信憑性が上がってきています。)

(岩波書店、改定新版による)「善悪の知識の実」、で魂が死ぬ、という建て付けなのだが、
ユダヤ教、旧約聖書はそこに留まり、そののちにイエスの記録から始まった新約聖書では黙示録21章4節で「涙をぬぐい去り、万物を一新する」という内容。

ちょっとスケールがでかすぎると思うが、
牧師は、第二の死の克服の約束と解釈していた。「もはや死も悲しみもなく」とも書かれており、
まだまだ不老長寿には程遠い医療の先を想像してしまったりもしたが、
第二の死、「魂の死」が善悪の木の実でもたらされるとユダヤ教から位置づけた旧約聖書の記述とドラマ「アンチヒーロー」がシンギュラリティーし過ぎていて、
今書いている。(2024年4月28日)

アンチヒーローは、善悪から離れた、一本通った主人公の正義に振り回されるのだろう。

それをみて、その弁護士から学びたいとその事務所に入った後輩は何を思うのか。
ドラマの行く末も気になる。

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