聖書は、どこからその話が来たのだろう?という話の飛躍がたまにあります。
聖書は、どこからその話が来たのだろう?という話の飛躍がたまにあります。
それは昔に書かれたことの引用だったり、またそれが成就するという、大事な意味がが隠れているのです。しかし普通の聖書は解説が少ない!大事なのに、知らないとわかりづらいのですよね。
聖書は2000年以上前に書かれたものなので、話を聞く人の常識が違ったり予備知識が違ったためです。
意地悪をしているわけではありません(笑)
理解できない時、腑に落ちない時・・・。
手間を省くならGoogle検索、もっとちゃんと、と思うなら、
詳しい牧師さんに相談するとか、解釈書を参考にするなどがオススメです。
僕は注釈書を持っていないのですが、詳しい牧師さんの話で見え方が変わり、
注釈が充実した新約聖書、岩波書店の「新約聖書・改定新版」(通称、岩波訳)を購入しました。
レビューの中には「宗教臭くない」など書かれており、
やはり「訳した人の意訳を排して、直訳に近くしたもの」だそうです。
さすが岩波書店!
さて、わかりにくい例を2つほど上げます。
「目には目を、歯には歯を」というところがありますが、武闘派のほかの宗教と違わないじゃないかと思ってしまうかもしれません。
僕も昔はそう思っていました。
しかし、そこにはこんな続きがあるという説があります。
「そんな刑罰を科していたら、永遠に解決しないではないか」
という続きです。
それなら納得です。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に言えることだそうです。
それにもう一つ、どうも引っかかっていた部分があります。
イエス様が十字架の上で一度は死んでしまうとき、「神よ私を見捨てたもうか」というところです。
有名な、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」という箇所です。
これは、この頃は紙が高かったので、「みんな知っていることは割愛して書いてしまった」といわれています。
こんな続きがあります。
「私は苦しみ、そのように感じております。しかし、あなたに身を委ね、賛美を申し上げます。あなたはわたしを苦難から引き上げて、救ってくれます。」
という続きがあるのです。(詩編22編の部分です。このあたりを読むと、詩編通りに事が進んでいるのを、イエスを死刑にしたユダヤ人は恐れおののいたでしょう。衣を引き裂いて取り合うというところは、詩編を知らないローマ兵が実行していたことも書かれています。)ヘブライ文学に依拠した、嘆きから賛美へつながる、「引用」なのです
マタイの福音書はユダヤ人向けに、ほかの福音書の中には外国人向けに書かれたものなど違いがあり、
福音書も4つあります。
言葉ひとつひとつをあげつらって押し問答するのでなく、
「おかしい」と思ったら聞いてみましょう!!調べてみましょう!!
というお話でした。
残念ながら、クリスチャンの中にも誤用している人はいるようです。
疑問に思ったらなるべく確かめる。そんな習慣がついたらいいかもしれませんね。
まあだから、わかりにくいとか回りくどいとか、めんどくさいって言う人がいるんですけどね。
もうちょっと労をとりましょう(笑)