女性に関する 第一テモテ二章の「新欽定訳」などでの記述 賛否両論

聖書の訳と、第一テモテへの導入

日本語の聖書には新欽定訳(英名New King James Version)というものがあり、それと新改訳が混ざったものを英語表記も載っているとのことで持っています。

それの第一テモテへの手紙の2章に、女性の在り方も書いてあります。
9節から「つつましい身なりで、控えめに・・・」などと書いてありますが、

これ、12弟子の弟子テモテが宣教に行く時にパウロが書いた手紙で、テモテの行く場所には亭主をしりに敷くどころか、もてあそぶ遊女もいる街にも行くテモテへの手紙なんです。
またパウロは「法はよく使われてこそいいもの」とも触れていて、優しすぎるかもしれないテモテに、そこまで言っていいと言っているようにも読めます。

要は聖書は全体を読んで理解しましょうということですね。
そのような洞察に至ったのは学術的に正しい記述を目指した岩波新書、改定新版の新約聖書(通称 岩波訳)に触れてでした。

第一テモテ2章は男女差別に利用された!!?

また、新欽定訳などの第一テモテ2章の最大の問題点と思われる、「女は子供を産むことで罪から赦される」は、岩波訳、新改訳2003年版では、先祖エヴァの知恵の実を食べた罪で得た産みの苦しみに救いがあるだろうという意味に読めました。

聖書の言葉を聖句ともいいますが、男が女に「女は子供を産むことによって罪から救われる」と言っていたとしたら恐ろしいですね。

このように、聖書は全体を通しての意味を取らなければならない難しいものです。
オンラインバイブルサロンというところでも教わりました。下線部クリック、タップでサロンのホームページを見られます。(案件ではありません)

みなさんにより正しい洞察がありますように。

まとめと改定新訳の新約聖書(通称 岩波訳)の紹介

聖書はヘブライ語、アラム語、ギリシャ語から翻訳されて、本屋や、お持ちの方の手元にあります。

岩波書店の改定新訳(通称・岩波訳)では
信仰は信頼に近い意味だったとか、(あれ、この話に関しては、岩波訳だったかわからなくなってしまいました)
十字架は単なる柱に近いものだったということから杭殺柱と書かれたり、かなり攻めた内容ですが、学術的正しさという意味ではぴか一のようです。20年くらいは新しいものは出てこないと思われますし、
その過度の神聖性を排除したとも思われる文体は「宗教臭くない」利点もありますが、大改編により筆者が明記されている珍しい聖書です。明治、大正時代の訳を定着しているからと変えてこなかった反省からです。

手に取ってもらえることを願います。注釈も厳密に入っていて、注釈書を後で買うより安くて正確かもしれません。

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